自分史

私は向精神薬を服用し始めて、かれこれ10年になります。

現在の病名は「双極Ⅱ型障害」。
この病名になったのは今から5年前です。

やはり最初の頃(10年前ですね)というのは気分が沈み込んでしまい、仕事に行く意欲がなく、休みがちでした。
仕事に行かない自分に不甲斐なさを感じ、「自分は怠けているのだ」と感じる日々を送り、このままではいけないと思い、精神科への受診に踏みきって、投薬治療を始めました。

「気分が憂鬱で意欲がわかない」と医師に告げれば、当然のごとく診断名は「うつ病」となります。
そうなると病院としてもそれに対処する薬として「気分・意欲を高める薬」を出します。
そのように薬が処方され、私も当然のように「これで良くなれるんだ!!」と信じて服用を始めました。

ここからが「今となっては」・「今にして思えば」になるのですが、「気分が沈みこむ・意欲の低下」に対処するべく服用したくすりの効果は、気分が持ち直すというより「異様な高まり」となって表出していたようです。
活発になり、口調は饒舌になり、大げさに表現すれば自身がまるで神にでもなったかのような万能感を覚えました。
活発であると同時に酷い浪費も始まり、膨大な借金を作りました。何の根拠もなく「金はなくならない」と思い込んでいました。
これで親からの信用すらなくしてしまいました。

これがいわゆる「躁転」という状態ですね。
勿論その時の自分は、自身が「躁に転じている」という自覚は全くありません。

「前より元気になったね」と言ってくれる人もいましたが、中には「なんか表情がギラギラしていて怖い」と言われたこともあります。でもそんな事を言われても、気分が高揚して気が大きくなっているので何とも思いませんでした。
ただ・・・、これも「今にして思えば」ですが、そういう風に「イケイケ」で何事もやってきても、自分が思ったように物事が進まない・自分の意のままにならない事もあるわけで、そのような時は直ぐに頭に血が昇って声を荒げて「キレて」いました。

そんなイケイケな期間も長くは続かないもので、ある時を境にして急激に憂うつで意欲のわかない状態に陥る事もあり、やがて「躁状態」と「抑うつ状態」は不定期に交互に訪れるようになりました。

その時期も私は躁状態の時は「気分を持ち直して良好な状態」であり、「抑うつ状態」の時だけが調子の悪い状態だという程度の認識しか持ち合わせていませんでした。

抑うつ状態に陥ると、躁状態にある自分自身に愕然とします。
色々なことにチャレンジ(手を出す)してみるけれど、結局何一つうまくできない(うまくいかない)。それで出来なかった事はすぐに諦めてしまうんです。
気分が沈んでいる状態の時にそのことを考えると、自分自身の無力さが情けなく、ひたすら自分自身を責める日々に転じる生活が続くんです。

5年前、転居したと同時に病院も変わりました。
はじめに発病してからの「生活史」のカウンセリングを行いました。
そして新しい医師からの診断は「双極Ⅱ型障害」。今の状態では仕事ができないと医師からは告げられました。

この5年の間も「躁状態」と「抑うつ状態」は交互に訪れ、そのふり幅の大きさに苦しんできました。
全くの引きこもりとまではいかなくとも、家から出ない事が多く、その影響なのか自分が頭で思っていることをうまく処理して会話に繋げるという力が衰えているのを実感しています。

しかし、「双極性障害」というものを知ろうと書物を読んでみたりしてから、「精神疾患」に陥った自分のこれまでを振り返り、上記で綴った症状を改めて認識したのです。
認識・理解するという作業は、一見良いことのように思えますが、かつて(今も)躁状態に陥っている時の自分が奇行・奇言で多くの人々を振り回し、多くの人の心を傷つけ、多くの人の信用・信頼を失ってしまったという現実を噛みしめなければならないという作業でもあり、苦痛・苦悩もまた大きいです。

このような過去を持っているので、実は私には昔からのという友達はほんの一握りくらいしかいません。ほぼ全ての人々からの信用・信頼を失って三くだり半を突き付けられて・・・。

私は「自分に自信を持つ」という事に臆病になっています。
自信を持つという事と躁状態でハイな気分になっている状態の境目がわからなくなるのではないかという不安が常につきまとっています。
これ以上、自分から人が離れていってほしくないという恐怖と不安感。

「病気にみえないよね」とよく言われます。複雑な気持ちですね。
「自分に自信を持って元気にふるまわないと」という気持ちでいますが、いわゆる当事者の中に入り込んでも、その中で疎外感をおぼえたりすることもあるのです。
一般社会ですでに疎外感をおぼえ、更に当事者間でも・・・となると「自分は一体外でどうふるまっていれば安心(安全)なのだろうか?」と思い悩む事も多いです。

そうやって自分自身のことより「人目」とか「世間体」とか他人からの評価とか、そんなことばかり気にするようになりました。
だけれど、双極Ⅱ型の本には、そのような気質も持ち合わせているとバシッと書いてありました。

いろいろ病気について学んでみたら、薬は一生のお付き合いであるということ。

ハイ過ぎたりロー過ぎたりせずに、なるべくふり幅の小さい生活を送るには、1日の生活にリズムを持たせること。

そしてここも大事!だということを改めて認識したこと!

それはWRAPの普段からの活用。

WRAPを作ることや書いたことを普段から眺めたりすることは、平穏な自分を保ちたいのであれば怠ってはいけない生活習慣にしなければならないということなんですね。

WRAPを通じて「過剰にならない程度の」自信を取り戻そうと取り組んでいるところです。
あとは、WRAPを共有できる仲間がどんどん増えてくれたらいいなというのが目下の希望です。

ここまでざっと(じゃなくカナリ長ったらしい??)自分史を洗いざらい綴ったところで、次回あたり「元気に役立つ道具箱」というものを紹介してみようかなと思います。
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# by wrap-aomori | 2013-07-27 18:32 | ブログ | Trackback

WRAP集中クラス in いわて

WRAPの集中クラスのお知らせです。

開催地は青森県ではありませんが、共にWRAPを学んでいる岩手の仲間が主催する2日間集中クラスです。

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私も当日サポーターとして参加いたします。

興味のある方はぜひ!!
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# by wrap-aomori | 2013-06-13 18:01 | お知らせ | Trackback | Comments(1)

リカバリーを目指して

今月に入ってすぐに、ある事が引き金になって精神的に調子を崩してしまい、1週間近く寝込んでしまいました。

とある事について、その人はどう思っているのだろう?そして私の事をどう思っているのだろう?
そういった気持ちが頭をよぎり、それがエスカレートして被害妄想に発展し、「どうせ自分は何もできない力のない人間だよ・・・」という強い不安感・焦燥感と怒りの感情が自分自身を支配してしまい、希死念慮にさえ駆られてしまいました。
久しぶりに辛い時期を過ごしました。

自分自身の性格的な部分も大きいのですが、対人過敏症で常に他人の評価を気にし、顔色をうかがい、「自分自身の気持ち」がおろそかになってしまったが為の今回の出来事。

私には近隣に「ピアサポーター」はいません。そもそも被害妄想に陥り、人を信じるということができなくなっている状況で「助けて!」と訴える発想自体、なくなってしまっていた状態でした。

布団を被り、希死念慮に駆られた時は、もう一人の「理性的な自分」が頭の中で言いました。
「第3者がお前のことをどう思っているのかなんて、直接その人の口から聴いたわけでもないのだからわかるわけがないし、そんな不確かな理由で簡単に生きることを諦めることは間違っている」
「理性を持った自分」はそう言いました。

誰にもSOSを発信できなくて、でも何とかして気持ちを持ち上げて今の状況から少しでも脱しなければと思い、ちょうど最近読み進めていた「双極Ⅱ型障害」の本を手にとって、布団を被りながらページをめくりました。
読み進めていけば気持ちをフラットにできるヒントに巡りあえるかもしれないと思ったからです。

本を読み進めて・・・
「あの人は自分をどう思っているのだろう?」→「自分には何も力がなくて、何もできないさ」
他人に合わせようとして、合わせすぎて、自分がからっぽになり、無価値な存在にしてしまう。

それまでの関心事は
・自分は受け入れられているのか?
・どのように評価されているのか?
・嫌われていないか?
・嫌われやしないか?
「拒絶される」ことに恐怖心めいたものを感じていました。いや、現在も感じています。

それは何故かというと、「躁」という異様な状態にある時に多くの人の感情を振り回し、そのほとんどの人達は私の元を去っていき、もう二度と修復できないような関係に自分自身がしでかしてしまったという後悔の念から。
逆に「抑うつ」の状態にあった時も同様に多くの人の感情を振り回し、その時は人生における伴侶さえ去っていきました。

もうこれ以上拒絶されるということは、今の私にとって耐え難いことなのです。
拒絶されないようにするにはどうしたらよいのか?
考えたことは相手の考えることを二手三手先まで読んで心を汲み取ろうとすることです。
案の定、読みすぎ、気を使いすぎ、疲れてしまい、精神のバランスを崩してしまうという顛末です。

私自身に欠けている事
「ただ存在しているだけでよい」ということ。それはポジティブな意味において。生きているだけでもよい、といったほうがよいでしょうか?。

本を読み進めてこの「存在しているだけでよい」という言葉を目にしたとき、少し安心しました。
「誰が自分をどう思うか?ではなく、自分はどう存在し、どう考え、どう生きるかだ。」という発想の転換で気持ちが少し落ち着きました。


WRAPには「元気に大切な5つのこと」があります。

・自分が主体となること
・サポート
・自分のために権利擁護すること
・学び
・希望の感覚、希望を感じること

この5月はじめからの数日間の辛い時期を、自らの病気である「双極Ⅱ型障害」に関する本を手がかりとして回復方向に持っていきました。
苦悶している時間帯、「WRAPなんて自らのリカバリーに何の役にも立たない!」と投げやりにさえなっていました。

でも・・・
自分が回復(リカバリー)のきっかけを掴んだ過程やその結果、さらにその先にまでも、自分が知らぬ間にしっかりWRAPのキーコンセプトが存在し、尚且つ発揮していたのです。

自分が主体となる→自分についての専門家は自分自身!自分は元気になりたいために本を読んだ。

自分のために権利擁護をする→今日、このブログで自分のこと、自分の想いを書き綴りました。

学び→今回の出来事があり調子を崩してしまったけれど、書籍から知恵を授かり、アプローチの方法や発想を変えれば、調子を崩さなくても済む選択肢の可能性を学びました。 

希望の感覚→この一連の過程で回復に向かえたことで、改めてWRAPの素晴らしさとリカバリーの       大切さと心地よさを感じ、光が射したような感覚になりました。

今はとにかく、WRAPをフル活用して「躁」でも「抑うつ」でもない「フラット」な状態の維持に努めたいです。


今回は、わたくし事に偶然「元気に大切な5つのこと」が重なったので紹介したカタチになりましたが、次回はもう少し掘り下げてお話ししたいと思っています。

(大ちゃん)
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# by wrap-aomori | 2013-05-12 18:34 | ブログ | Trackback

WRAPのはじまり

今まで当ブログでは「WRAP(ラップ)集中クラス」等の様子をお知らせする程度の内容で、今まで何かしらのキーワードを辿って当ブログへお越しくださった方の中には

「そもそもWRAP(ラップ)ってなに??」

と思われた方もいたと思います。


というわけで、今回はWRAPのはじまりについて私の知りうる範囲で、少しずつお話ししたいと思います。


WRAPはアメリカのメアリー・エレン・コープランドさんを中心とする、精神的、または身体的困難を抱えている当事者のグループが開発したのが始まりです。

メアリーさんは精神的な不調に悩まされ、服用していた薬の副作用にも苦しみました。
そしてメアリーさんは本来の自分らしい生活を取り戻したいと思い、

「自分のように病気をして同じような境遇にある人たちは、辛い時にどのように対処して乗り越えて暮らしているのだろうか?」

そう考えたそうです。
そして知りたいと思い、主治医に聞いてみたそうです。
しかし、医療機関側では、治療や薬の情報はあっても、困難に対処し、どうやって乗り越えるかという生活の工夫についての情報はなかったようです。

医師が頼りにならないのであれば、自分で何とかするしかない!自分で調べよう!
そして精神的な困難を持つ人たちにアンケートを実施しました。
そこから多くのデータが集まりました。

そのデータを元に、メアリーさんを中心に当事者たちで、毎日を生活する上で困難な状況を軽減し、乗り越える為のシステムを考案しました。

それが

Wellness(ウェルネス)=元気
Recovery(リカバリー)=回復
Action(アクション)  =行動
Plan        =プラン

と命名されました。

かくいう私もWRAPの存在を知る以前は、病院へ通院して主治医から「はいこれ飲んで」と渡された薬を飲んで、その薬の効き具合を報告に再び通院して・・・の繰り返しを10年以上続けていたので、朧ろげながらもメアリーさんと同じように「苦しい時、自分自身で工夫できることはないだろうか?」と考えていたような気がします。
メアリーさんとの違いは、その術を知りたい!という行動力がなかったことですね(^^;


次回からWRAPの構成を紹介していきたいと思います!!

(大ちゃん)
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# by wrap-aomori | 2013-04-28 02:00 | ブログ | Trackback

久しぶりの更新になります

最後の更新から、気がつけば1ヶ月以上経過していました・・・。

3月9日と10日の2日間、八戸市で「WRAP集中クラス」を開催し、それに現地事務局員として参加させていただきました。

その後はというと、3月22日にWRAP研究会いわてからお声をかけて頂き、盛岡市に於いて開催された「WRAP1日体験クラス」のサポーターと一部トピックだけではありましたがファシリテーターを務めさせていただきました。

定職には就いていないので、普段の生活で会話する人は家族くらいです。
その他はといえば2週間に1度、クリニックに通院して主治医と2、3経過を報告する程度。

そのような生活を長く続けていると、「言葉の引き出し」がどこかへ無くなってしまい、「会話力」が退化してしまうものですね。

たまに友人・知人に会っても言葉がうまく出てこない自分がいます。
更にショックを受けたのは会話をしている最中に、声が震えたり涙が溢れてくるんです。
この声の震えだったり涙が溢れる症状はちょっと辛いものがあります。

八戸での集中クラスで参加されている方々に事務連絡をする際なども、涙こそ出ませんでしたが声は震えました。

岩手での一日体験クラスの際は初めは声の震えがありましたが、これは徐々に治まりました。でも涙は出ていたので手にハンカチは離さず持っていました。

少しだけ辛いけれど、どれも良い経験をしたと思うし自分にとってマイナスだったとは思いません。

ひとつ考えさせられたことは、私は常日頃ひとの心の痛みにはじっくり耳を傾けることを大切にしようということを心がけているつもりでした。
でもそれは実は本当に「つもり」だっただけということに気がつきました。
普段家で一人殻に閉じこもり、自分自身のことを考えるだけで精一杯で、それがいつしか「自分だけが苦しい人」という錯覚を起こしていたのでしょう。自虐的な表現をすれば「生ぬるい平和ボケ」状態にいたと思います。

WRAPには様々な方が参加し、様々な方の生活史・心情が交差します。
参加された方々の痛みや苦しみの叫びを聴いたとき、自分自身が恥ずかしい気持ちになりさえしました。

今は私自身は生きているというより、両親の庇護の元に生かされてもらっているだけなのかなぁと・・・。
もっと主体性を持って自分と真剣に向き合って「生かされる」のではなく「生きていかなければ」いけないのだよな・・・。

そんなことに気付かされました。


いま、夜中の2時です。
なぜ久しぶりの更新を夜中にしたのかといいますと、とても猛烈な不安感と焦燥感に襲われてのことです。
なにが引き金だったのか今はわからないのですが、夕方あたりから不安で怖くて居たたまれない気持ちでした。
そしてWRAPのことを考えていました。

「自分に何ができるだろう?」

でもそう自問するだけでは答えは出ないんですよね。
何かアクションを起こさないといけないんですよね。


唐突に始まった感のブログ。

「WRAP(ラップ)」が「Wellness Recovery Action Plan(ウェルネス・リカバリー・アクション・プラン)」の略であること、発祥のあらまし等、ブログを始めた時に順を追って説明をするところから始めなければいけないことでした。

脈絡のないものに対して興味を抱かせるということはどだい無理なことです。
説明が不足していたということについて、改めてお詫びいたします。

これから少しずつでもWRAPについてお話しして、一緒に学んでいければと思います。
(大ちゃん)
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# by wrap-aomori | 2013-04-16 02:19 | ブログ | Trackback
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WRAP=ラップ(元気回復行動プラン)は心の健康の点検と整備をする「自分取扱い説明書」です。「三沢らっぷ」は青森県三沢市よりWRAPを発信しています。


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